創業233年の老舗そば屋『更科布屋』で、金子栄一さんと出会う。
『更科布屋』の七代目店主、金子栄一さん。増上寺の大門のほど近くに構えるこの老舗には、多い時には1日に1000人を越える来店があるとのことです。金子さんは、江戸町民から愛されて残ってきたつゆの味を守りながら「伝統とは革新の連続だからね」と新しいメニューを生み出す努力も重ね、そばを通じて芝ならではの文化を伝え続けています。
200年以上の歴史
1791年に東日本橋の薬研堀(やげんぼり)で創業した老舗の蕎麦屋です。蕎麦打ち上手として知られる反物商が蕎麦屋に転向したので“布屋”なんです。1913年から芝大門で店をひらいています。
“更科そば”というのは、そばの実の中心部分25%だけを使ったそばのことをいいます。でんぷん質が多くて甘みと歯ごたえがあり、つるりとのど越しがいいのが特徴です。白いそばは画用紙のように色や香りがよく乗りますから、梅や桜、よもぎ、山椒、唐辛子など季節の色と香りの「変わりそば」も楽しめます。
江戸ではそばの実の皮をとる技術が発達し、長いそばが効率よくつくれてたくさん売れたことでそばが流行ったそうです。江戸の人は忙しいので、早く食べられるのも喜ばれたようですね。将軍のお膝元で石高750万石とも言われた江戸では身近の白米ばかり食べて脚気が蔓延し、予防に効果のあるビタミンB1豊富な蕎麦が好まれたともいわれます。そんな時代から、233年間親しまれてきた店です。
七代目当主として
本当は医者になりたかったんですけどね。うちのおじいさんが亡くなった時「この家で男は僕だけだ」と気付き、おばあさんが亡くなる時には「お前しか継ぐ人がいない」と言われ、高校3年で家業を継ごうと決めました。大学卒業後に味の素ゼネラルフーヅのマーケティング部に勤め、その経験が今にも生かされています。お品書きにある「そば豆腐」「松茸そば」「蛤そば」などは江戸時代に出していたものです。昔やっていたものを復活させると新しい価値として提供できる、という発想はマーケティング目線です。
蕎麦屋としてはゼロからの出発で、ネギの切り方から教えてもらいました。他の蕎麦屋にも修行に行きました。江戸以来の老舗同士は競合ではなく、何代にもわたるお仲間で旦那衆が集う「銅子会」とその息子たち若旦那の集う「木鉢会」というものもあります。
多業種の老舗が集う「芝百年会」での学びも貴重です。だって蕎麦屋だと、家具屋さんや着物屋さんと話すことがないでしょう(笑)。地元に愛されて3代100年続いた老舗が30軒、暖簾を引き継ぐための伝統と知恵を共有しています。芝地区には江戸時代から町人が、武士が、僧侶が隣接して住み、その中を天下一の東海道が通っていたため多様化した文化と商売が栄えたわけです。MICEでお越しの時は、そうした文化と歴史を感じる老舗巡りも楽しいと思います。
そばの楽しみ方!
蕎麦の食べ比べは面白いですよ。江戸の蕎麦屋のつゆは、100店あれば100店違う。江戸には約3700軒の蕎麦屋があり、更に同じく位の数の屋台があったそうです。当然過当競争になるので、つゆで差別化したんですね。そこで好まれた味が今も残るのが、藪さんであり、砂場さんであり、更科なわけです。
みんな蕎麦屋に来ると一格言うんちくを言うでしょ?それだけ庶民に近く、昔からみんなが食べているものなのです。以前、「つゆは並木藪蕎麦が一番で、麺は蓮玉庵の太打ちが一番」というそば好きがいて、並木のつゆを徳利にこっそり入れてそれをもって蓮玉庵に行き、そこの太打ちにつけて食べたらすごくまずかったと(笑)。麺と汁のバランスが、老舗の老舗たる所以だという話です。
蕎麦はリーズナブルだからいい。例えて言うなら3000円のそばを10人に食べてもらうより、1000円で30人が来てくれた方がいいですね。賑やかで、やる気が出ますよ。
基本情報
【金子栄一さん】
1978年慶応義塾大学経済学部卒業後、味の素ゼネラルフーヅ株式会社入社。
1982年家業に戻り、2010年より更科布屋七代目店主を務める。
TV・雑誌のグルメ番組、情報番組へ数多く取り上げられる老舗蕎麦店当主として、
2014年より麺類組合理事、2018年より芝地区で3代100年以上の暖簾を守る「芝百年会」会長のお役を頂き業界・地元の活性化に取り組んでいます。
【芝大門 更科布屋】
- 場所:
- 東京都港区芝大門1-15-8
- 営業:
-
月曜~金曜 11時~20時30分(L.O.20時)
土曜 11時~19時30分(L.O.19時)
日曜・祝日 11時~19時(L.O.18時) - Website:
- http://www.sarashina-nunoya.com/