“関東のお伊勢さま”『芝大神宮』で、勝田博之さんと出会う。

人々から親しまれる“関東のお伊勢さま”『芝大神宮』宮司の勝田博之さん。60代目を担う重責がありつつ、宮司のイメージを飛び出すようなパワーと明るさを放ちます。宮司は神と人間の間で中立であるべきと、素のままでいる勝田さん曰く「ここは歴史と空間に奥行きがあり、人間がのびのびできる場所です」。芝エリアの包容力を垣間見ます。

庶民に愛された歴史

『芝大神宮』について教えてください。

芝大神宮の前身は、伊勢神宮に献上する関東の米をストックする拠点として1005年に飯倉につくられた「飯倉明神宮」です。のちに江戸に幕府をつくった徳川家が増上寺を菩提寺にした際、飯倉方面は増上寺に対して方位が良くないとのことで、江戸幕府の庇護の元、芝に遷ったといわれます。
江戸時代には“一生に一度のお伊勢参り”が流行っていましてね。ただ、江戸からお伊勢様まで歩いて往復で50日、現在のお金でいうと150万円程度もかかり、そうそう気安く行けなかった。そこで関東に分け御霊をし、お伊勢様からほど遠い関東以北の人たちは “関東のお伊勢さま”といわれる芝大神宮に参拝するようになりました。そして江戸からお伊勢様へと旅立つ人たちは、東海道の入り口にあるこの神宮で「行ってきます」と参拝して一服していたと。庶民から長く愛されてきた歴史があるんですよね。
9月には年に1度の例大祭、俗称「だらだら祭り」があります。かつては9月16日だけでしたが、全国から集まる参拝者のために前に5日、後ろに5日追加して11日間となりました。「太良太良」と書くことで縁起がいいとされ、結婚式を挙げる人たちも多いです。

60代目宮司として

勝田さんが宮司になった経緯を教えていただけますか?

大学卒業後、ドイツの製薬会社に勤めていました。35歳で家業を継ぐために戻ってきましたが、仕事が好きだったので辞めるのは忍びなかったです。うちのじいさんの残した書物に「宿命に生まれ、人生に挑み、天命に燃えろ。さすれば人生は大道、黄道だ」と書いてありましてね、結果的にそう生きています。
世襲というのは独特の人生体験です。小さい頃から大晦日やお正月はひとりぼっち。よその家に行って過ごすのが寂しくてね。宮司になればなったで、トップは孤独なものだと感じます。
自分は60代目として、先駆者に泥を塗らず、先の人に光を当てるようにと歴史をつなぐ役割を担った神職を務めています。でもね、俺は俺。神職とは、神前とみなさまの中執持(なかとりもち)ですから、神に寄りすぎず、人間として素の自分でいることが中立なんです。
どんなに飲んでも毎日朝6時には殿内の掃除をしています。すると大きな企業のトップの方が早朝にお参りに来られる姿を見かけますね。ここがすこしでも支えになればと思います。

このまちの魅力

『芝大神宮』のあるこのまちの魅力を教えてください。

かつて芝を“志波”と書くことがありました。それは、志を持った職人たちがここに裸一貫でやってきて、修行をし、大成していたからです。そんな繁栄の土地であった由来に目をつけ、世界貿易センターが建ちました。さらに、令和の建替えでツインタワーとなり陸海空の拠点になります。この再開発に、地元は反対しませんでした。貿易センターは地元の人たちと非常に良い関係を構築していたからです。
こどもの頃は、貿易センタービルが見えるところまでが自分たちの領土でした。ザリガニ釣りに遠くまで行っても「あのビルが見えるからいつでも帰れるんだ」と心強かった。そんな記憶が心に宿っている地域の人達は、時間軸も含めた四次元の広がりのなかでのびのびと暮らしています。だから新しい企業がやってきても拒まず、新旧で共存できるキャパシティがあるのです。MICEがご縁でお越しの方々も大歓迎です。

Message to MICE organizers

【勝田博之さんから、MICE開催者の方々へ】

芝は松竹梅の揃う縁起のいいまちです。浜松町には松、竹芝には竹、慶應義塾の前身の跡地には梅が植えられていたからです。そんな当地でぜひ英気を養っていただきたい。芝大神宮では6月30日と12月30日に大祓という穢れを払う行事がありますが、穢れとは“気が枯れる”に由来します。気を高めるべく、アフターMICEでは思い切って浴衣などに着替えて、浜離宮恩賜庭園や芝大門のまちを存分に楽しんでください。

基本情報

【勝田博之さん】

大学卒業後、ドイツの製薬会社に勤務。退社後芝大神宮、現在は60代目宮司。

【芝大神宮】

場所:
東京都港区芝大門1-12-7
営業:
社務所受付 9時~17時
御祈祷受付 9時~16時30分
Website:
https://www.shibadaijingu.com/